携帯を無くして翌日見つかったんで、この話はハッピーエンドなんだ。まぁほんとに大した話ではないけどね。

丁度「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んでいた時の話なんで、主人公のホールデン風に書いてみるよ。

その日の翌朝は、スノーボードに行くはずだったんだけど、僕は無茶なスケジュールの仕事をしていて、遅くまでやってたもんだから行けなくなってしまった。最近とっても忙しいんだ、休職やら退職やらで人が半減したからね。それで帰りに歓迎会に寄ることにしたんだ。那覇から来た同僚のね。歓迎会は二次会になってて、熱燗を呑みながら沖縄蕎麦を食べてすぐ終電に乗ったんだ。

帰りはずっと「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んでいた。この本はね、この前、同僚に「会社の裏に図書館がある」って聞いて、昼休みに行って借りたものなんだ。その少し古びれた図書館で初めに手に取った本は「ヒンドゥー教」。これはとっても僕らしい本だと思ったよ。プラーナーマーヤなんて言葉が出てくるからね。でもパラパラ見てたら満足しちゃって、実際借りたのはこの本だった。

図書館なんて100年ぶりぐらいだったけど、本を読むことって、長い通勤時間をこれほど有効に使えることってないんじゃないかな。

それで僕は電車の中でずっと本を読んでいたわけだけど、僕は本を読むと周りが全く見えなくなるんだ。だから電話がかかってきて、取らずに切って、そのまま携帯をバッグの上に置いてたなんてことはすっかり忘れちゃってたってわけさ。

それで気付いた時には、地元の駅に着いていたんだ。僕はあわてて立ち上がり、バッグと傘を持ってドアが閉まる瞬間に外に飛び出たんだ。そしてすぐにイヤホンの先にあるはずの携帯が無いことに気付いたんだ。携帯は電車の中。電車の中で立ってた人とバッチリ目が会ったよ。

僕はホームを走って階段を駆け上がり、駅員に携帯を落としたことを伝えた。駅員は各駅に聞いてくれたみたいだけど見つからず、終点の駅でも見つからなかった。誰かが持っていってしまったらしい。これにはまいったね。

実際に"持っていってしまう人"が、この世の中には居ることは知ってる。昔の話だけど、僕はクラブや海なんかで、ヴィトンのバッグやカメラを盗まれた子を何人も見たよ。そういう"情報"の入った物って、盗まれた方のショックは大きくて、どうしてそんなことが平気で出来る人がいるのかよく分からないけどね。

僕が携帯なんかを拾ったら間違いなく届けるし、1万円札だけが落ちてた時だって届けた。でもそれは良い人になりたんじゃなくて、心がクリアになるかどうかで決めてるだけなんだ。想像するに、"持っていってしまう人"っていうのは、心がクリアになるとかならないとかが、分からないんじゃないかって。そういうことに興味も無いんだろうね。

携帯には、電車の定期券や色んな電子マネーが入ってたのと、各サイトのパスワードなんかが満載だったんだ。図書館を知るまで、通勤時間の暇つぶしは携帯だったからね。だからすぐロックしないとと思ったんだ。

それで急いで家に帰って自分の携帯に電話したんだ。遠隔ロックをするために。自分の携帯に電話するなんて変な感じだ。けどずっと留守電だったよ。8000回ぐらいかけたんじゃないかな。それから4000時間ぐらいかけて、ネット経由でパスワードを変更したんだ。

でも留守電ってことは、多分電源が切れてるってことでいくらか安心した。なぜって、電源が切れるとロックがかかるようにしてあるからね。落とした拍子に電源が切れたのかも知れない。最近そんなことが多いから。

気持ちは随分うらぶれていたんだけど、しょうがないと寝ることにした。金とかはいいんだけど、"情報"が悪用されるかも知れないってことと、携帯電話が無い状態で携帯を買って機種変更するのは、すごく面倒なことなんだ。布団に入って神にお願いをしたよ。僕は結構信心深いんだ。何の宗教も信じちゃいないけどさ。

目覚めた時はもう午後だった。そしたら携帯が届いてるってお知らせが届いていたんだ。途中の駅に。それで安心してグズグズしてたんだけど、100時間ぐらい経ったあと、ようやくスクーターで取りに行って、パスワード入れて自分のだと確かめた。届けてくれや人にお礼を言おうと聞いたんだけど、分からないって。

そんなわけで携帯は無事戻ってきて、僕はスクーターで家に帰る途中に、お気に入りの米粉の調理パンを三つ買ったんだ。もちろん公園で食べるために。自転車に乗り換えて公園に向かった。外はすごく寒くて、公園にも人はまばらで、指先だってろくすぽ動かなかったけど、僕はパンを食べて、また本を読み始めたんだ。



それからしばらくして、風が強くて自転車が僕に倒れてきた時に、僕は自分の身体がかなり冷えてることに気が付いた。だから本を読むのを止めて、携帯がどう戻ってきたか少し考えてみることにした。

携帯が届けられたのは、その駅の終電からかなり時間が経ってからだった。駅員もあとから届けられたようだと言っていた。ってことはさ、拾ってくれた人は一度改札を通って外に出て、それからしばらくしてから携帯を届けたってことなのかな。それとも捨ててある携帯を発見した他の誰かが、親切に届けてくれたのかも知れない。

でも、真相なんかどうでもよくって、きっとね、あの僕が乗ってた先頭車両の中に、僕が飛び立った瞬間に見事に携帯をキャッチした人が居て、その人は素敵なことに"持っていってしまう人"ではなくて、小便臭いゴミ箱に捨てることもなく、僕の携帯をちゃんと駅に届けてくれたんだ。大切なのはこの世の中に"届けてくれる人"がいるっていう事実さ。

これがもし届けられなかったら、僕は去年の今頃みたいに、人間不信に陥っていたね、間違いなく。だから届けてくれた人には本当に感謝しているし、携帯が戻ってきて僕はハッピーな気分になれたんだ。そんなことを考えながら帰ろうとしてたら、いつの間にか芝生の上をね、小さな女の子が小さい犬に引っぱられて走ってるんだ。二人とも小さくて一生懸命に走ってた。それがとっても可愛くてね、ほんと君にも見せたかったよ。



09/02/21 UP